銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第7回 銀座二丁目の銀座稲荷

今回訪問する稲荷神社の鎮座されている所は銀座二丁目。江戸時代に鋳造所である“銀座”が置かれたのがこの二丁目ですから、まさに銀座の中の銀座、銀座発祥の地にある稲荷神社になります。そしてその名も「銀座稲荷神社」。普段は非公開のお社ですが、今回、特別に参拝させていただきました。さて、どんな所でしょう。

宇井野
今回は「THE」が似合うお稲荷さんです。言ってみると「THE 銀座」です。
荻窪
銀座二丁目は、銀座発祥の地ですものね。歩道には「銀座発祥の地」の碑が建てられています。戦後に建てられた碑ですが、右から左に書いてあります。
銀座二丁目の中央通り歩道にある銀座発祥の地碑。
銀座二丁目の中央通り歩道にある銀座発祥の地碑。
宇井野
どんなことが書かれているのですか?
荻窪
銀座役所趾。慶長17年に徳川幕府がここに銀貨幣鋳造の銀座役所を設置して、町名を新両替町、通称銀座町と呼ばれていたけど、明治2年に正式に銀座が町名になったと書いてあります。銀座役所がここに置かれなければ、今の日本中で見られる「○○銀座」という商店街はなかったかもしれませんね。
江戸時代前期(1632年)の江戸絵図の銀座辺り。「銀座」と書いてあります。「武州豊嶋郡江戸(庄)図」(国立国会図書館蔵)より。
江戸時代前期(1632年)の江戸絵図の銀座辺り。
「銀座」と書いてあります。
「武州豊嶋郡江戸(庄)図」(国立国会図書館蔵)より。
宇井野
この場所から賑やかな街、という意味を込めた「銀座」が広がっていったんです ね。実はここには江戸時代から続く「銀座越後屋」さんという呉服店が今でもご商売されています。今回の銀座稲荷は越後屋さんと大きく関わりがあります。
荻窪
なんと、そんな老舗が。でも、通り沿いはビルしかなくて、越後屋って名前が見えないんですけど。いったいどこに?
宇井野
ふふふ。そう思うでしょ。実はあのビルがそうなんです(写真の銀座発祥の地碑の右後ろに見えてます)。
荻窪
え?越後屋っぽさがないんですけど。
宇井野
越後屋っぽさってなんですか(笑)。ではビルの裏に回ってみましょう。中央通りの1本裏にある銀座ガス灯通りです。するとさっきのビルの裏に。
荻窪
おお。銀座越後屋だ。
老舗の呉服店「銀座越後屋」さんは銀座ガス灯通り側の1Fにお店を構えてます。
老舗の呉服店「銀座越後屋」さんは銀座ガス灯通り側の1Fにお店を構えてます。
宇井野
先ほどもご紹介しましたが、ここはすごく由緒ある呉服屋さんなのです。
荻窪
銀座で越後屋と聞くとつい三越を思い出してしまいますね。三井越後屋の略ですから。あちらは創業者の三井高利が祖父が越後守だったことにちなんだ名前だそうです。
宇井野
こちらの銀座越後屋さんは初代の永井長助さんが越後国(今の新潟県)から江戸へ丁稚奉公に上がり、そののちの1755年に京橋伝馬町に藍染屋を開いたのがはじまりだそうです。越後出身なので越後屋なのですね。京橋伝馬町ってどのあたりでしょう?
荻窪
京橋の北側は南伝馬町と言われていたのでそのあたりではないでしょうか。今の場所と比較的近いですね。
宇井野
その後、呉服へと商いを拡げ、2代目の時に今の場所にお店を移したそうですから江戸時代からの老舗ですね。歴史が長いのでいろんなエピソードをお持ちです。その辺りは、この銀座オフィシャルの銀ぶら百年の21回でもお読みいただけます。今のビルは2010年に完成した新しいビルですが、それまでは昭和6年築の古いビルだったんです。
荻窪
ではいつもの通り、ってこともないけど、昭和40年前後の銀座の地図を見てみましょう。越後屋ビルってありますね。
昭和40年頃の銀座付近歓楽街図。東京案内図(和楽路屋)より。越後屋ビルが描かれてます。
昭和40年頃の銀座付近歓楽街図。東京案内図(和楽路屋)より。
越後屋ビルが描かれてます。
宇井野
現代に合わせて立派なビルを建てながら、先祖代々の商売をちゃんと続けているのがさすがですね。
荻窪
で、越後屋さんはわかったのですが、肝心の銀座稲荷の話は?
宇井野
はい、その銀座稲荷は銀座越後屋さんが御守りされてるんです。
荻窪
ということは、越後屋さんの屋敷稲荷だったんでしょうか?
宇井野
わたしも最初はそうなのかな、と思いましたが、違うんです。銀座稲荷は銀座2丁目の、町の鎮守さまなのです。まさに、THE 銀座の稲荷でしょう?
荻窪
おお、そうなのですか。それはぜひお詣りせねば。お社はこの近くにあるのでしょうか?
宇井野
それがですね。まさにこの住所に鎮座されているのですが、普段は非公開なんで す。なぜなら。
荻窪
なぜなら?
宇井野
その場所は銀座越後屋ビルの屋上なんです!非公開なのですが、今回は特別に銀座越後屋さんに案内していただいて詣でさせていただけますよ。では、エレベーターで屋上へ上がりましょう。
荻窪
おお。屋上の扉に「銀座稲荷神社」と書いてありますね。さらに鍵がかかっている扉をあけると、お稲荷さん専用の一角が。びっくりですね。屋上にお稲荷さんのためのエリアを設けたのですね。
銀座稲荷神社と書かれた扉の向こう、屋上に赤い鳥居が
銀座稲荷神社と書かれた扉の向こう、屋上に赤い鳥居が
銀色に囲まれた中に赤い鳥居、そして青空と非常に映える空間でした。
銀色に囲まれた中に赤い鳥居、そして青空と非常に映える空間でした。
荻窪
デパートや会社の屋上にお稲荷さんをお迎えして商売繁盛や火伏せをお願いするって形はよくありますが。
宇井野
その現代的な構造の中に鎮座されていて、大きなお社ではないけどものすごく見応えがありますね。わたしの第一印象は「カッコイイ!」です。アルミの銀色に鳥居の赤が映えて、SF映画の1シーンみたい。
荻窪
ビルもお稲荷さんも新しそうにみえますが、石の祠は古そうですよね。
宇井野
この石の祠は昔から伝わるものだそうです。当初は裏通りにありましたが、戦後になって周囲の開発で裏通りがなくなり、その後越後屋ビルにお移しし、新しいビルができた2010年に今の新しいお稲荷さんになったそうです。
銀座稲荷神社の古い石の祠。
銀座稲荷神社の古い石の祠。
荻窪
でも周囲がどんどん開発されていく中でもこうしてしっかり古い石祠とともに残されているのはよいことですよね。外から見えなくても、そこに町を守る神様がちゃんと祀られているというのが大事ですし。
宇井野
そうなんですよね。そして神様はしっかり守ってくださっていますよ。先の震災の際、お社の一部が台座から落ちてしまったのですが建物には被害がなく、当代の越後屋さんは「お稲荷様が身代わりとなって守ってくださいました」とおっしゃってました。銀座発祥の地に勧請された古いお社とそれを守る人の物語はこうやって続いていくのですね。
荻窪
ところで、屋上にあるということは、一般の方はお詣りできないのでしょうか?
宇井野
そうですね、残念ながら、今まで尋ねた他のお稲荷様のように普段は気軽に立ち寄ることはできないんです。でも例大祭の時は開放されて氏子の方々がここまでお詣りにこられるそうです。あとは、八丁神社巡りのような催事のときに、遙拝のお社が1Fに設置されることもあるようですよ。事前に確認してみたいですね。
荻窪
そうですか。お社に直接手を合わせることはできなくても、1Fあたりに常設の遙拝所があるとよさそうですよね。
宇井野
それは素敵ですね!越後屋さんの思いもそのようなので、きっと、THE令和の町稲荷、という新しいスタイルを見せてくださるんじゃないかしら。形は変わっても、お稲荷様へ日々の平安を願う気持ちは、変わりませんね。