銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪 第1回 教文館・聖書館ビル

銀座探訪シリーズ第2弾。
前回までは銀座の寺社をご紹介してきた荻窪圭と宇井野京子が、今度は建造物に着目しながら街の推移を深掘りする「銀座たてもの探訪」に挑戦です。
皆様よろしくお願いいたします。

宇井野
こんにちは!さあ、たてもの探訪がスタートします。1回目ってやはりドキドキしますね。
荻窪
銀座は関東大震災後に建てられた昭和前期の古いビルがけっこう残っているのですが、外観からだといつ頃のどんな建築なのかがわかりづらいのですよね。なので実際に取材して話を伺えるこの連載は楽しみにしてました。そして第一回はなんと昭和8年建築というビルです。実はずっと気になっていた建物なんですよね。
松屋銀座前から見た教文館。実は昭和8年竣工の老舗ビルなのだ
松屋銀座前から見た教文館。実は昭和8年竣工の老舗ビルなのだ
宇井野
そうだったんですねー。なにせ、銀座の名建築のひとつですものね!では、荻窪さんがワクワクしている建物、教文館書店のビルをご紹介していきましょう。ところで何が気になっていたのでしょう?
荻窪
一番はその名前です。たとえば、グーグルマップを見ると「聖書館ビル」と書いてあります。でも、銀座3丁目の交差点から見るとビルに「教文館ビル」とあります。教文館ビルなのか聖書館ビルなのか。国土地理院の地図を見ると2つが別のビルとして描かれてますが、外からみると、ひとつのビルでもあり、ふたつのビルがくっているようでもあり。気になりません?
銀座四丁目の教文館・聖書館ビル周辺。ビルが2つになっている!(「地理院地図Vector」より)
銀座四丁目の教文館・聖書館ビル周辺。
ビルが2つになっている!
(「地理院地図Vector」より)
宇井野
そこまで気が付かなかったなあ。
荻窪
それを知るにはこのビルが建設された歴史まで遡る必要がありそうなんですよね。
宇井野
ではふたりで取材しましょう。
宇井野
というわけで、教文館の渡部満社長にお話を伺い、ビルの写真を撮らせて貰ってきました。まずは、荻窪さん、謎が解けてよかったですね。
荻窪
はい。結論からいえば、建物としてはひとつですが、教文館側と聖書館側できれいに別のビルとして区別されているというユニークな構造でした。しかもはじめからそう設計されていたんですよね。だから建物の名前としては「教文館・聖書館ビル」というのが正しい、ということでしたね。
宇井野
その教文館のルーツなのですが、もとは横浜にあり、明治18年にアメリカから来た宣教師がキリスト教の本を販売したり作ったりするために作られた会社だったのだそうです。
荻窪
明治期は横浜が東京の外港で、海外からの玄関口でしたからね。幕末からの外国人居留地もありましたし。
宇井野
その後、事務所や店舗が竹川町これは今の銀座7丁目のあたりですが、そこから銀座3丁目を経て、銀座4丁目に移ります。美以美雑書会社、という名称だったのもいくつかの変更を経て、日本名が教文館と定まりました。
荻窪
日本最初の鉄道は横浜-新橋間でしたから、銀座は海外からの玄関口でもあったのですね。築地にも居留地が作られていたので銀座はすごく良い場所だったのでしょう。当時からキリスト教(メソジスト教会)の出版や販売に加え一般書籍も扱っていたようです。
宇井野
移転を機に4階建ての立派なビルも建てられました。そうそう、書籍だけでなく、ビクターレコードの代理店でもあったんですって
荻窪
だがしかし、まもなくあれが襲います。
宇井野
あれ?えーっと、あ、もしや。
荻窪
大正12年の関東大震災ですね。教文館も地震には耐えたものの、火事で焼失してしまいました。
宇井野
その後に今のビルが建てられたのですね。
荻窪
その時の敷地が広かったこともあり、アメリカ聖書協会に働きかけ、共同でビルを作ることになったのだそうです。アメリカやイギリスの聖書協会の日本支社がのちの日本聖書協会となります。
宇井野
それが聖書館ですね。
荻窪
そうなんです。教文館はプロテスタントのひとつメソジスト教会系、聖書館はアメリカ聖書協会と同じキリスト教ながら別々の組織だったようです。そのビルの設計を請け負ったのは誰か。そう、有名な建築家、アントニン・レーモンドですね。
宇井野
レーモンドの建築は軽井沢協会や、芝のオルバン教会などでも有名です。銀座では、現存していませんが、銀座の松坂屋百貨店、山葉ホールも手掛けました。
荻窪
そのレーモンドが、教文館ビルと聖書館ビルという本来2つの建物を一体化した設計をしたんです。構造としてはひとつのビルだけど、中身はそれぞれ別という感じ。
宇井野
今まで意識しませんでしたがそう言われてみるとはっきり分かれてますよね。
荻窪
わたしも今回の話を伺って改めてチェックしちゃいました。普通、教文館・聖書館ビルって松屋の角あたりから見るじゃないですか。そうすると中央通りに面しているのは教文館なので教文館ビルのイメージが強いのですが、松屋通り側からみると違うんですよ。
松屋通り側からみる教文館・聖書館ビル。手前が聖書館。
松屋通り側からみる教文館・聖書館ビル。手前が聖書館。
宇井野
ほんと、教文館ビルと聖書館ビルの境目がはっきりわかりますよね。同じなのだけど、ビルの高さも違うし、きちんと区別されてます。
荻窪
エントランスがちょうど両者の境界にあるのも言われてみるとなるほどって感じです。そしてそれぞれ入口が違うのに、エントランスホールは共通という。
教文館と聖書館のちょうど真ん中に入口があり、それぞれ扉も分かれている
教文館と聖書館のちょうど真ん中に入口があり、
それぞれ扉も分かれている
中に入ると共通のエントランスホールがあるのだが、真ん中から左が教文館、右が聖書館。
中に入ると共通のエントランスホールがあるのだが、
真ん中から左が教文館、右が聖書館。
荻窪
これ、左側が教文館で右側が聖書館なんですよね。ビルは同じでもけじめはつけてます、みたいな。
宇井野
階段が面白い。教文館と聖書館がそれぞれの階段を持っていて、エレベーターも実はそれぞれ用に左右に分かれて設置されてる。なんていうのかな、使いやすい二世帯住宅のような、と例えたくなるような。
荻窪
でもエレベーターを降りるとまた共通のエレベーターホールになっているという。はっきりと両者は区別されてるけど、でもビルとしては一体化していて共通に使われているというのが今回の発見でした。
宇井野
この建物が長く保たれているのにはオーナーさんの小さくない経済的な投入や維持管理の努力の賜物があると思います。でも、この絶妙な2つが1つ、という構造がそれを可能にしているというのも大きいでしょうね。
荻窪
そうなんですよね、このビル、言われないと気づかないけど、昭和8年竣工なんですよね。つまり90年以上現役で使われているということ。エントランスホールのレリーフは建設当時のものだと聞きました。震災復興建築のひとつということです。
宇井野
今回は、その他にも普段は見られない建築当時の名残を見せていただいたんですけど…それにしても渡部社長のお話を伺いながら私たち何度も驚いたのは、現在の耐震規定の審査にもそれこそびくともしない構造だ、という点です。
荻窪
そう、このビルは戦災にも耐えていますしね。
宇井野
東日本大震災以来耐震基準が厳しくなって銀座の中央通り沿いのビルは対策をしなければならなくなった。いくつかのビルは基準を満たすために補強し、中には建て替えることにしたところも。でもこのビルは、ほぼそのまま最新の耐震基準を満たしていたんです。なんて頑丈なんでしょう!
荻窪
そんな建物の、一般の人には公開していない管理設備のあたりを見せてもらったのは本当に貴重な経験でした。ビルの中も配線などのために部屋の床を上げたり天井を下げたりしてるそうですが、それでも十分な高さがあって低いと感じないのはもともとの設計が良かったのですよね。
地下に残る竣工当時の様子を残す階段。
地下に残る竣工当時の様子を残す階段。
宇井野
そうそう、当時のビル内で手紙をやりとりするための機構が今も活用されていること、あれ、面白かったですね。
かつては手紙を、今はデータを配送するダクト
かつては手紙を、今はデータを配送するダクト
荻窪
各フロアから手紙や書類を投函できるようになっていたのですよね。でも今は書類の代わりにネットワークを使う時代なので、その各フロアを貫くスペースにケーブルがはいり、手紙を入れる口からそれが出ているという。
宇井野
アナログ時代もデジタル時代も同じ業務を律儀にこなしている!ほかにも当時のままに役目を全うしているのは階段。上階はきれいに手が入っていますが、当時のままの残っている箇所は、本当に変わらず現役!という感じでした。
宇井野
ちょっと残念なのは屋上にあった塔が姿を消してしまったことですね。会議室にあった竣工当時の姿を復元した模型をみせていただいたのでそれをみてみましょう。
竣工当時を再現した模型。手前が聖書館、奥が教文館。それぞれ塔が立っている
竣工当時を再現した模型。手前が聖書館、奥が教文館。
それぞれ塔が立っている
宇井野
立派な塔があったんですよねえ。レーモンドは、祈りの場を想起させる外観の役割として塔を大切にしていたようですから。
荻窪
高度成長期に広告看板を立てるために撤去してしまったんだそうです。でも、代理店をつとめた、ビクターの看板なので仕方がないかなという気も
塔が撤去された頃の模型。屋上に大きな広告看板があり、壁にも広告が。
塔が撤去された頃の模型。
屋上に大きな広告看板があり、壁にも広告が。
宇井野
この頃は2階に洋書なども扱う教文館書店があり、1階には銀行やレストランが入っていたそうです。書店はいまでも2階にありますね。レストランは当時の最先端のファウンテンソーダなどを供していたその名も富士アイス。私もこの頃の教文館、行ってみたい!
荻窪
そう、レストラン行きたいですよね。当時の店内で当時のランチとデザートを! さて、名残惜しいけどもう一度外から眺めてみましょう。松屋通りの方から見ると、塔の土台の痕跡も少し見えますね。
聖書館側に建てられていた塔の痕跡が。
聖書館側に建てられていた塔の痕跡が。
宇井野
当時と変わらないものと大きく形を変えたものが仲良く共存してるんですね。二つの個性がひとつに融合しているこのビルの成り立ちそのものにも通じてるみたい。

今回訪問した教文館・聖書館ビルは、銀座中央通りと松屋通りの角にあります。これからの季節はプレゼント用の書籍やクリスマスツリーオーナメントのお買い物も楽しめます。