GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

高橋 純×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.15

高橋 純×高嶋 ちさ子

2012.12.03

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんに、ゲストの方をお迎えして銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、銀座で1番古い注文紳士服店「髙橋洋服店」の代表取締役社長、高橋純さんです。

銀座で100年以上続く「髙橋洋服店」の4代目です。

高嶋さん
「髙橋洋服店」さんは、銀座で100年以上続く老舗だそうですね。お店の歴史を教えてください。
高橋さん
ずっと私が3代目だと思っていたんですが、最近になってそうじゃないことがわかりましてね。店については私の祖父が二十歳のときに独立して、1903年(明治36年)に創業したって聞いていたんですよ。ところが、ちゃんと調べていくうちにつじつまの合わないことがたくさん出てきまして(笑)。今年で101歳になる祖母に確認してみたところ、「アンタのおじいちゃんが独立したんじゃないわよ」って言われまして。どういうことかと言うと、ややこしいんですが、祖父は、私の曽祖父のいとこにあたる人のところに弟子入りして、のちに養子になり、そのまま跡を継いだそうなんです。だから祖父が2代目で、父が3代目で、私が4代目ということになります。
高嶋さん
なるほど。そうなんですね。
高橋さん
実は創業した年もあやふやで……。公式には明治36年創業としているんですが、明治35年の銀座の地図を見たところ、義理の曽祖父の店『髙橋侍郎洋服裁縫店』が銀座1丁目にあったんですね。だから創業は明治36年じゃなく、少なくとも35年ということになるんですが、いつからそこに店があったかもわからないので、とりあえずそのまま明治36年を創業の年ということにしています。でも、古い業界誌を調べると、明治20年代の前半には、店が創業していたという記録も残っているんです。なので、明治23年頃には、現在の店の母体があったんじゃないかとは思いますね。

高橋洋服店の店内 壁には様々な生地が並ぶ

ビジネスマンにとって背広は、戦国時代の武士の鎧と一緒。

高嶋さん
初代のときから受け継がれている洋服作りのこだわりってあるのでしょうか?
高橋さん
うちの洋服は、日本の昔の仕立て屋さんの洋服に比べて、よく言えばスッキリした仕立て、悪く言えば手抜き、ですかね。
高嶋さん
え? どういうことですか?
高橋さん
祖父の言葉を借りれば、「余計な手間をかけても洋服はよくならないよ」っていうことです。必要以上にいじくっていないんです。
高嶋さん
すべてオートクチュールなんですか?
高橋さん
ええ。うちは既製品がないですね。採寸から納品するまで完全手作業で、はじめての方ですと、ミニマムで5週間くらいです。
高嶋さん
高橋さんにとってスーツはどのような存在ですか?
高橋さん
洋服って着てナンボだと思うんですよ。着やすい洋服でなければ何にもならない。よく言っているんですが、ビジネスマンにとって背広は、戦国時代の武士の鎧と一緒だと思うんです。武士が戦場でペラペラの鎧を着ていると命を落としますよね。それと一緒で、ビジネスマンもいい加減な背広だと、ビジネスの場面で命を落とすことになりかねないんじゃないかと。ですから、背広を着る必要がある人は、できるだけいい背広を着て下さいと申し上げるんですよ。そんなにたくさん背広を持つ必要もないし、流行の先端をいく必要もないですけれど、ただ〝いいものを長く大事に着て下さい〟と。それをお手伝いするのが洋服屋の使命だと思っています。
高嶋さん
うちの主人にもいいスーツを着せてあげないといけませんね(笑)。高橋さんは毎日スーツを着ていらっしゃると思うんですけど、どのくらい長持ちするものなんですか?
高橋さん
10年くらいは着られますね。
高嶋さん
えぇ!?スーツってそんなに長持ちするんですね。10年の間に流行やデザインって変わらないものなんですか?
高橋さん
男の洋服って、流行はあってはいけないものだと思うんですよ。襟幅が広いとか多少のトレンドはあるでしょうけれど、ファッションであってはいけない。その人のスタイルを確立することが大切ですね。

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