銀ぶら百年

歳末の伊東屋詣

Ginza×銀ぶら百年 Vol.01

銀ぶら百年 ~イズミ式銀座街並細見~

歳末の伊東屋詣

2015.12.24

泉 麻人

 いまどきわざわざ、「銀ぶらしてくる」といって、銀座へ買い物に出かけたり、ぶらついたりする人は少ないかもしれないが、銀ぶらというフレーズ自体はまだ広く認識されている。今回から僕は「銀ぶら百年」と題したエッセイを連載することになった。銀ぶらはともかくとして、百年の根拠はというと、昭和の初めに刊行された銀座案内本の名著『銀座細見』のなかで、著者の安藤更生氏が以下のように解説している。

「特別な目的なしに、銀座という街の雰囲気を享楽するために散歩することを『銀ブラ』というようになったのは、大正4、5年ころからで、虎の門の『虎狩り』などと一緒に、都会生活に対して、特別警抜な才能をもっている慶応義塾の学生たちから生まれてきた言葉だ」

 まぁ銀ぶらって言葉の発祥については諸説あるので、そのへんについてはまたおいおい論じるとして、とりあえずこの安藤説を信じるとすれば、大正4、5年は1915、6年であり、ちょうど百年ってことになる。さらに僕は一応慶応出身者でもあるから、百年前の先達の時代をしのびつつ銀ぶらの魅力を再考するようなエッセイを執筆したい、という気になった。
 さて、どういうところからとっかかろう……と思ったとき、浮かんできたのは2丁目の文房具店「銀座・伊東屋」。執筆を始めようといういまごろ(2015年11月)、お決まりの手帳(スケジュールノート)を伊東屋に買いに行く――というのが歳末恒例の銀座散歩になっている。それは、<AT·A·GLANCE>というアメリカ製のもので、カレンダー型のマス目に日々のスケジュールを記録する体裁なのだ。納戸に保存されたいちばん古い手帳は1986年。これが使い始めのものとすれば、もう30年、歳末の伊東屋詣では続いていることになる。

 そう、リニューアルされてまもない館内もじっくり眺めてみたい。

 地下鉄を降りて、4丁目交差点から銀座通りを京橋方向へ歩く。建て替えがさかんな銀座、いまどきミキモトも普請工事中で名物クリスマスツリーが見られないのが残念だが、歩道端に並んだイチイの低木にそろそろ電飾が灯されるころだろう。3丁目の東側はルイ・ヴィトンの入った横長の松屋銀座、マロニエ通りをはさんで2丁目のブルガリの向こう、細長いガラス張りのビルが伊東屋だ。伊東屋のまた向こうがティファニーだから、ほんとうにこのあたり高級ブランド銀座になった。

 赤いクリップをシンボルにした伊東屋、正面のガラス窓には万年筆とインクを描いた円型のエンブレムに1904-2015と年号が記されている。2015は新ビルの竣工、1904が創業年である。

 銀ぶら発祥より10年早いこの年は明治37年。社会史的には日露戦争が勃発、連戦連勝が続いたことから戦況を伝える絵ハガキが続々発行された。
「伊東屋においても、開店前に絵葉書を買う長蛇の列ができるのは毎度のことであった。世間では『絵葉書で伊東屋は大きくなった』と評判になったと伝えられる」

(銀座伊東屋百年史)


 歴史をさかのぼれば、創業者、伊藤勝太郎は銀座7丁目(旧・竹川町)の洋品商に生まれて、勧工場時代の博品館に店を出していたとき、隣の文房具屋から買い取りの話をもちかけられて商売を鞍替えする。まもなく、3丁目のいまの松屋の一角に初代の伊東屋を開業するわけだが、間口3間のレンガ造りの店の看板には<和漢洋文房具 GENERAL JOB PRINTERS BOOKBINDERS STATIONERY>と白地に金字で掲示され、シャレた雰囲気を漂わせている。

 開業当初のヒット商品が日露戦争がらみの絵ハガキだったというけれど、いまの伊東屋に入ると1階フロアには、季節柄クリスマスがテーマの絵ハガキやレターセットが陳列されている。うーん、この歳末の玄関フロアのムードは改築前と変わらない。なんとなくそわそわした気分でクリスマスや年賀状用のカードを何枚か選びとって、手帳を揃えた4階へと向かう。新館はほぼ左側にエスカレーターが設備され、右側か奥にレジカウンターがある。

 1~4階まではカード、筆記具、ノート、手帳……といった正統文房具が中心で、5階から上はトラベルグッズ、カップやクッションなどの家具雑貨、紙の専門コーナー……とジャンルが広がっていく。とりわけあっと驚くのは11階。エレベーターを降りたとたん、フロアのガラス窓越しにライトアップされたレタスが見える。正確にはフリルレタスと呼ばれる品種で、窓の向こうのインドアファームで栽培されているのだ。

「ただいま育成中のフリルレタスのようす
 育成開始から 9日 収穫まで 31日
 温度 26℃ 湿度 67%
 二酸化炭素 366ppm」
明治37年創業時
明治37年創業時
昭和5年店舗
昭和5年店舗
 さて、どういうところからとっかかろう……と思ったとき、浮かんできたのは2丁目の文房具店「銀座・伊東屋」。執筆を始めようといういまごろ(2015年11月)、お決まりの手帳(スケジュールノート)を伊東屋に買いに行く――というのが歳末恒例の銀座散歩になっている。それは、<AT·A·GLANCE>というアメリカ製のもので、カレンダー型のマス目に日々のスケジュールを記録する体裁なのだ。納戸に保存されたいちばん古い手帳は1986年。これが使い始めのものとすれば、もう30年、歳末の伊東屋詣では続いていることになる。
明治37年創業時
明治37年創業時
昭和5年店舗
昭和5年店舗
 そう、リニューアルされてまもない館内もじっくり眺めてみたい。

 地下鉄を降りて、4丁目交差点から銀座通りを京橋方向へ歩く。建て替えがさかんな銀座、いまどきミキモトも普請工事中で名物クリスマスツリーが見られないのが残念だが、歩道端に並んだイチイの低木にそろそろ電飾が灯されるころだろう。3丁目の東側はルイ・ヴィトンの入った横長の松屋銀座、マロニエ通りをはさんで2丁目のブルガリの向こう、細長いガラス張りのビルが伊東屋だ。伊東屋のまた向こうがティファニーだから、ほんとうにこのあたり高級ブランド銀座になった。

 赤いクリップをシンボルにした伊東屋、正面のガラス窓には万年筆とインクを描いた円型のエンブレムに1904-2015と年号が記されている。2015は新ビルの竣工、1904が創業年である。

 銀ぶら発祥より10年早いこの年は明治37年。社会史的には日露戦争が勃発、連戦連勝が続いたことから戦況を伝える絵ハガキが続々発行された。
「伊東屋においても、開店前に絵葉書を買う長蛇の列ができるのは毎度のことであった。世間では『絵葉書で伊東屋は大きくなった』と評判になったと伝えられる」

(銀座伊東屋百年史)


 歴史をさかのぼれば、創業者、伊藤勝太郎は銀座7丁目(旧・竹川町)の洋品商に生まれて、勧工場時代の博品館に店を出していたとき、隣の文房具屋から買い取りの話をもちかけられて商売を鞍替えする。まもなく、3丁目のいまの松屋の一角に初代の伊東屋を開業するわけだが、間口3間のレンガ造りの店の看板には<和漢洋文房具 GENERAL JOB PRINTERS BOOKBINDERS STATIONERY>と白地に金字で掲示され、シャレた雰囲気を漂わせている。

 開業当初のヒット商品が日露戦争がらみの絵ハガキだったというけれど、いまの伊東屋に入ると1階フロアには、季節柄クリスマスがテーマの絵ハガキやレターセットが陳列されている。うーん、この歳末の玄関フロアのムードは改築前と変わらない。なんとなくそわそわした気分でクリスマスや年賀状用のカードを何枚か選びとって、手帳を揃えた4階へと向かう。新館はほぼ左側にエスカレーターが設備され、右側か奥にレジカウンターがある。

 1~4階まではカード、筆記具、ノート、手帳……といった正統文房具が中心で、5階から上はトラベルグッズ、カップやクッションなどの家具雑貨、紙の専門コーナー……とジャンルが広がっていく。とりわけあっと驚くのは11階。エレベーターを降りたとたん、フロアのガラス窓越しにライトアップされたレタスが見える。正確にはフリルレタスと呼ばれる品種で、窓の向こうのインドアファームで栽培されているのだ。

「ただいま育成中のフリルレタスのようす
 育成開始から 9日 収穫まで 31日
 温度 26℃ 湿度 67%
 二酸化炭素 366ppm」
野菜工場
野菜工場
 なんて最近の工場のようにデータが表示されている。ちなみにこのレタス、もちろんただの趣味でつくっているわけではなく、もう1つ上、最上階12階のカフェレストランの料理(サラダ)に使われるのだ。

 ところで、こういう試みについて「伊東屋は文房具専門であってほしい。カフェなんていらない」みたいな書きこみをネットで見かけたが、実は往年の伊東屋も華やかなデパート的だった時代がある。とくに関東大震災の復興後、1930(昭和5)年に誕生した店舗ビルは、地上8階(地下2階)鉄筋コンクリート、ネオルネッサンス様式の建築で、当時銀座通りに出揃った三大デパート(松屋、三越、松坂屋)並みの高層物件だった。写真を見ると、まさに隣の松屋と張り合うように肩を並べている。

 各階の構成は以下のとおり。

 B1 千疋屋フルーツパーラー 食堂
 B2 電気室 暖房室
 1F 文房具 万年筆 煙草 商品券
 2F 事務用品 帳簿類
 3F 贈答用品 カメラ 手芸用品
 4F 洋品 貴金属
 5F 防寒用品 蓄音機 玩具 人形
 6F スポーツ用品 洋楽器 レコード
    眼鏡 検眼室
 7F 洋家具 インテリア 手芸教室
    吉行あぐり美容室 熊谷辰男写真室
 8F 事務室

 とまぁ、ほとんど百貨店といっていい。ちなみに吉行あぐりさんは吉行淳之介さん・和子さんらの母親で、当時の銀座有名人であり、テナントを一見しても、ここがいわばトレンドスポットだったことが察せられる。
あぐり美容室
あぐり美容室
 モボ・モガも集ったであろう昭和初期の伊東屋風景を想像しつつ、12階のカフェでランチの目玉になっているエッグスベネディクトをいただく。2000円というのはけっこうなお値段だが、とろっとした2つの半熟玉子とともにのレタスを使ったサラダが添えられて、なかなかおいしい。

 そうだ、<AT·A·GLANCE>のスケジュール帳はアメリカ製だから、日本人向けにわが国の祝祭日を記した小さなシールがついてくる。元日、成人の日、建国記念の日……カレンダーのマス目に小丸型のシールを貼りつける恒例の作業を、エッグベネディクトをつつきながら行った。
「銀座百点」誌面では、毎月の「銀ぶら百年」取材時に泉さんが買った・見つけたものについてのミニコラムを連載中です。
ぜひ、あわせてお読みください。「銀座百点」は、会員店の店頭で無料で配布。
また、毎月郵送でお届けする定期購読も受け付けています。
詳細はウェブサイトまで http://www.hyakuten.or.jp/

泉 麻人   いずみ あさと

1956(昭和31)年、東京生まれ
慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」編集のかたわら、「スタジオ・ボイス」「ポパイ」などに寄稿し、 1984年よりフリーのコラムニスト・作家として活動し、『東京23区物語』など東京をテーマにした作品を多数発表。近刊は『還暦シェアハウス』。

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