インタビュー

幸せと“大丈夫”を感じる、アクセスのよい街を目指して
齋藤充さん(左)と田口亜希さん(右)

Amazing Ginza! Talk No.4

幸せと“大丈夫”を感じる、アクセスのよい街を目指して

射撃選手として、アテネ、北京、ロンドン大会に連続出場したパラリンピック元日本代表の田口亜希さん。東京マラソンの常連ランナーでもある齋藤充・銀座通連合会理事長(銀座千疋屋)と、スポーツを共通項に、射撃やマラソンのこと、2020年東京パラリンピック競技大会、銀座に期待される「アクセシビリティ」(利用しやすさ、近づきやすさ)について語りあっていただきました。

運動が得意だったわけではなかった

齋藤
これ、実際に射撃で使われた標的なんですね。初めて見ました。真ん中のここに当てるって本当に大変なことですねえ。田口さんは、どのようなきかっけで射撃と出合ったのですか?
田口
体を動かすのは好きでしたが、実は運動音痴だったので、自分の人生で選手と呼ばれることがあるなんて思ってもいませんでした(笑)。大学卒業後は、長くご一緒できるリピーターの多い接客業で、英語も使える仕事をしたかったので、「客船飛鳥」を運航する会社に就職しました。入社後、接客を学ぶために、東京のホテルオークラで2カ月ほど研修しました。ベルガール時代にお客さまとの会話で、客船飛鳥から研修に来ていると話すと、「僕はクレー射撃をやっていて、クレー射撃ができる客船があるらしいけど、飛鳥はできるの?」とおっしゃったんです。クレー射撃って初めて聞いたので調べたら、クレーと呼ばれる素焼きのお皿を銃で割っていく競技だと知りました。
齋藤
運命的な出合いですねえ。世の中にクレー射撃ができる船があるんですね。
田口
今は海上投棄の規制が厳しいし、日本は銃刀法の関係でできないですが、以前は外国船籍の船では結構できたんですね。それから4年後に脊髄の病気になって、車いすの人ばかりの病院に入りました。車いすでもできるスポーツって何だろうねとみんなで話したときに、バスケットや水泳、陸上が挙がるなか、射撃もあるよと。その時に私がやってみたいと言ったのを覚えていてくれた人と、のちに再会して誘われて射撃を始めました。運動音痴だったのに、人間って何が向いてるかわからないものですね。
齋藤
それはすごいですね。パラリンピックまで行かれたんですもんね。練習はどのようにするんですか?
田口
射撃場に行って実際に弾を撃つ練習が多いですが、毎回射撃場に行けるわけではないので、家で銃を構える姿勢の練習もします。弾を込めるのにも一つずつ動作があって、狙うまでの動作、引き金を引くまでの動作などのルーティンを家で練習します。射撃は、銃を構えたらいつも同じところを狙ってなければならないんです。私の場合は狙いを定めて息を吐くと、標的の真ん中にすうっと銃口が下りてきて、息を止めて引き金をゆっくり引いて、1、2、3、パンッて撃つ。わざと目をつぶって構えてみて、目を開けたらいつもと同じ位置に銃口があるか確認する練習もします。よく腕の筋肉を鍛えるのかと聞かれますが、筋肉ではなく骨格で銃を支えます。
齋藤
試合では全部で60回撃つそうですが、例えば20回目ですごく失敗しても最後まで撃つんですか?
田口
全部撃ちます。1発外すだけで決勝に残れないこともありますが、他の選手も外しているかもしれないですよね?何があるかわからないので、何発外しても最後まで諦めませんし、適当な撃ち方もしません。
齋藤
銃や弾等は、オリンピックもパラリンピックも同じなんですか?
田口
全部一緒です。銃や弾、標的、距離も。唯一違うのは、椅子に座って撃ってもいいこと。私のように車いすでも撃てるんです。オリンピックは、椅子に座って撃つ姿勢はないですね。
齋藤
射撃は今も続けているんですか?
田口
国際大会は出ていませんし、東京パラリンピックは目指していませんが、国内の大会にはたまに出ます。射撃の話やアドバイスをするため、そして銃を所持する免許の更新が3年毎にあるので、そのためにも撃っておく必要があります。東京パラリンピックは、大会組織委員会アスリート委員や連盟の理事など支える側で関わっています。ところで、齋藤さんは東京マラソンの常連ランナーだそうですが、走っている数時間は何を考えているんですか?
齋藤
私は、子どもの頃はまったくの運動嫌いで、これではいけないと思い高校時代にハイキング程度の軽い気持ちで山岳部に入部し、運動をするようになりました。マラソンはファンランナーのレベルなんですが、走っている間は、家に帰ったら車でも洗おうとか、なるべくタイムとは全然関係ないことを考えますね。その方がいいタイムがでます。東京マラソンにはいつも家族が応援に来てくれて、中間地点と一番きつい30キロ地点で、私のお気に入りのドリンクを持って待っていてくれます。あとは自分の会社の前も通るので、懲りずに何度も出ています。本来私は銀座の沿道の警備をしなきゃいけない立場ですが、コース全体の警備をしていますと言い訳をして大会に出ています(笑)。
私は果物屋ですが、マラソン大会にはたいがい果物が付きもので、バナナはほとんどありますし、地方の大会などでは特産の果物が出たりします。岡山の大会ではシャインマスカットが出ました。果物って、身体が疲労困憊の状態でも喉を通るんですね。マラソンは果物の真のパワーを感じられるスポーツだと思います。
田口
私も、パラリンピックやワールドカップで選手村に入ると、すごく緊張してご飯が食べられなくて。それで倒れたこともあるから、しっかり食べないといけないのはわかっているんですが、食べられずにお茶漬けを流し込む。でもおっしゃるとおり、フルーツなら入るんですよね。選手村はどこもフルーツが用意されているので、必ず食べます。
齋藤
お見舞に果物を贈るのも、普通の食事は食べられなくても果物だと喉を通るという方が大勢いらっしゃるからなんですね。そういう意味では果物ってすごい食べ物なんだなあと思います。
田口
飛鳥の乗務員時代、晴海埠頭に入ったときに、先輩に連れられて銀座に苺パフェを食べに行きました。こんなおいしい苺があるんだってびっくりしたのを覚えています。今思えば銀座千疋屋さんですね。
田口
銀座といえば、私は射撃用品を買いに来ます。射撃界では有名な銀座銃砲店、「銀銃」と呼ばれています。品揃えがよくて地方の人もわざわざ来ます。関西の人も「銀銃行ってくる」とうれしそうにいいます(笑)。私も北京大会前には大阪からグローブを買いに来ましたし、先日も22口径の弾を買いました。あとは、銀座といえば、小学校3、4年の春休みに大阪から家族旅行で来て、歩行者天国で親とマクドナルドを食べて、時計屋でトムとジェリーの腕時計を買ってもらったことをよく覚えています。
齋藤
子どもの頃に親に連れられて来たという銀座の思い出は、結構あるかもしれません。親に連れられて目をきょろきょろしながら、銀座っていうところがあるんだと子ども心に強く残る。世代が変わってその子どもたちが大人になると、自分の子どもをまた連れてくる、そんな良いサイクルが銀座にはあるのかもしれません。

「銀座に行けば大丈夫」と思えるバリアフリーなまちを

田口
来年の東京オリンピック・パラリンピックでは、晴海埠頭に選手村がありますので、オリンピックはもちろんパラリンピックの選手たちも、自分の試合が終わると外に大勢出てくると思うんです。日本は安全で、食べ物も心配なくておいしいと言われていますから。そういうときに、どう対応していただけるかな、アクセスは大丈夫かなと思っています。
齋藤
一番頭の痛い問題は交通のアクセスがとても悪いことで、晴海通りも渋滞するし、お客さまをどう運ぶのか。
田口
バリアフリー情報の発信が大事と思います。過去大会では選手村にインフォメーションセンターがあって、どこに行けば何がある、何が食べられるかなど観光情報を教えてくれました。東京大会でもあると思うんですが、そこに銀座のバリアフリーマップを置いて、車いすで入れるお店、車いす用のお手洗いがある日本料理店、車いす用お手洗いを貸してくれるホテル、交通のアクセスなどの情報を発信いただけるといいですね。車いすの選手にとっては、どこに車いす用のお手洗いがあるというのは、とても重要な情報なんです。ロンドン大会では、企業のビルで選手の身分証明証「アクレディテーション」を見せたところ、トイレを借りることができました。お店に車いすの選手が来たときに、いすをよけてスペースをつくっていただいて食事ができるのもありがたいです。今まで行った国で、タクシーの乗車拒否をされた経験は悲しかったですし、その国にあまりよい印象が残らないですね。
齋藤
東京も車いすが乗りやすいタクシーが増えてきましたね。
田口
2020年に向けての準備、そして2020年以降どうしていくかですね。これからの高齢社会を考えると、誰にとっても利用しやすいという「アクセシビリティ」の確保は、決して無駄ではないと思うんです。アメリカでは、小さな喫茶店でお手洗いが1つしかなくても、車いすごと入れました。ストレッチャーだと難しいかもしれませんが。よく駅にある「多目的トイレ」のような大きなものでなくても、ちょっとした広さと手すりがあって車いすごと入れれば、一般のお手洗いでも使える人はだいぶ増えるんです。そういう配慮をいただいて「銀座はこういうバリアフリーだよ」と発信していただけるといいですね。例えば「何年後には何パーセント以上の店がバリアフリーでやっていきます」や、2050年までの目標を決め、それまでのマイルストーンを考えていただくなど。私たちも「銀座に行けば大丈夫なんだ」と思え、安心して行くことができます。
齋藤
目標を持ってやらないとですね。一度できてしまった建物を作り変えるのは大変ですからね。銀座でもバリアフリーマップをつくってはいるんですが、対応できる店の数が追いつかなくて。徐々に建物も更新されているので、バリアフリー対応のお店も増えてくるとは思います。
田口
楽しみです。

互いにみんなが幸せになれる街を、これからも

齋藤
私は前回の東京オリンピックが開催された昭和39年生まれなんですが、首都高ができたり新幹線が開通したり、すごく便利になりました。今回も少しでも多く、オリンピック・パラリンピックでいい街に変わったといわれればいいなと思っています。「銀座らしさ」とは人それぞれ定義は違うと思いますが、私が特に心に残ったのは、「お行儀のいい街」という言葉です。銀座に行くときは特別な格好で行ったり、銀座に行くと仕草もお行儀もよくなったり、お互いみんな幸せになれる、そういう街に今後もなっていってほしいと願っています。一時は銀座の周囲の街がどんどん開発されて、銀座が取り残されるのではという心配もあったんですが、銀座は銀座であって、取り残されること無く寄ってくれる人がいる。銀座のよさはビルそれぞれのオーナーの顔が見えることです。老舗だけじゃなくて新しい店もみな町会に属しているのもいい。様々な街の問題が起きると、すぐ街全体で真剣になって話し合える、銀座の街にそんな力があります。
田口
すごいですね。そういうところが大切ですよね。古いものに固執するだけじゃなくて、新しいものを取り入れる気風もすてきです。多様なみんなが共生できる2020年を幸せに迎えたいですね。観客の応援がとても選手の力になるので、どのパラリンピック会場も満員の観客で、日本人だけじゃなく外国の選手にもエールを送って、スポーツとして楽しんで見ていただきたいです。先日のラグビーワールドカップのように、ルールやマナー、選手を知って、次の試合にも行きたいと思ってもらえるようにしたいです。
齋藤
みんなが幸せになる2020年がいいですね。今日はありがとうございました。

(2019年10月24日 ハイアット セントリック 銀座 東京にて)

対談者プロフィール

田口亜希(たぐち・あき)

田口亜希(たぐち・あき)
射撃選手、パラリンピック元日本代表、日本郵船株式会社広報グループ社会貢献チーム

大阪市生まれ。大学卒業後、郵船クルーズに入社。客船「飛鳥」にパーサーとして勤務。25 歳の時、脊髄の血管の病気を発症し、車椅子生活になる。退院後、友人の誘いでビームライフルを始め、その後実弾を使用するライフルに転向。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。アテネは7位、北京は8位入賞。現在は日本郵船に勤務する傍ら、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員を務める。

齋藤充(さいとう・みつる)

齋藤充(さいとう・みつる)
銀座通連合会理事長、全銀座会代表幹事、株式会社銀座千疋屋代表取締役社長

日本を代表する高級フルーツ専門店の老舗「銀座千疋屋」の4代目社長。今年設立100年目を迎えた銀座通連合会理事長も務めており、銀座の街づくりのために奮闘中。好きな果物はりんご、梨、苺。趣味はマラソン、ゴルフをはじめ、体を動かすこと。東京マラソンの常連ランナー。