GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

吉澤 直樹×吉澤 裕介×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.63

吉澤 直樹×吉澤 裕介×高嶋 ちさ子

2017.02.01

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、精肉店とすき焼き・しゃぶしゃぶ店「吉澤」を経営する「株式会社吉澤商店」の取締役社長・吉澤直樹さんと、取締役専務・吉澤裕介さんのご兄弟です。

仕入れから加工、販売まで一貫して行っている牛肉の専門店。

高嶋さん
私、かなりの牛肉好きなんですが、こちらの『吉澤』さんにお邪魔したのは初めてです。勉強不足ですみません。
吉澤直樹さん(以下、直樹さん)
今度ぜひいらしてください。うちでは、すき焼き・しゃぶしゃぶ割烹の『吉澤』以外に、1階にある精肉の小売を行う『吉澤商店』、上物屋として有名な仲卸業者『吉澤畜産』をやっています。これぞと思う本物の牛肉だけを取り扱っていると自負しています。
吉澤裕介さん(以下、裕介さん)
僕は財務などの管理系の仕事をしておりまして、肉屋ですが兄と違って包丁も握れないんです。
高嶋さん
お二人はご兄弟ということですが……。
直樹さん
仲いいんですけど、兄弟と言っても中身は全然違うんですよ。学校の成績でも、僕は下から数えた方が早かったんですが、弟は上位グループでしたね。今日は僕だけだとちょっと威圧感があるかなと思いまして、弟にも来てもらいました(笑)。
高嶋さん
確かに、見た目も全然違いますね(笑)。
裕介さん
すごくいいバランスだと思っています。今も仕事上では役割分担ができているし、うまくいっていますね。
直樹さん
寺門ジモンさんからは、三代目Jビーフブラザーズと呼ばれています(笑)。
高嶋さん
三代目ということは、おじいさまが創業されたんですか?
裕介さん
祖父が昭和2年に銀座1丁目で精肉店として『吉澤商店』を開業したんです。その後、昭和26年に銀座3丁目の土地を祖父が購入しまして、現在のような1階では精肉店、2階は祖母が始めたすき焼き屋『吉澤』としての歴史がスタートしました。
吉澤直樹さん(写真上) 吉澤裕介さん(写真下)

吉澤直樹さん(写真上) 吉澤裕介さん(写真下)

すき焼き・しゃぶしゃぶの「吉澤」

すき焼き・しゃぶしゃぶの「吉澤」

精肉店「吉澤商店」

精肉店「吉澤商店」

松阪牛を世の中に広めブランディングした立役者、創業者の吉澤一一

高嶋さん
松阪牛を世に広めたということですが、どんな経緯があったんですか?
直樹さん
戦前までは、牛は役牛(えきぎゅう)といって、農作業に欠かせない畑のトラクターのような役割を担っていて、農家さんにとっては大切な存在だったんですね。何年か経って役牛としてのお役目を終えた牛は、農家さんで食すのが一般的でした。祖父は、三重県などの農家で役牛としての使役を終えた牛たちを東京に集めてきて屠畜し、商いを始めたんです。扱っているのが三重県の牛だったので、<伊勢牛>や、伊勢神宮からとって<神牛>と呼ばれていましたが、「吉澤商店の神牛がおいしい」と評判になったんです。そこで、この牛をブランディングしようということになり、東京の食肉業者生産者が中心となって設立されたのが<松阪肉牛協会>。設立当時、祖父は自分の名前である“一一(かずいち)”からとって指定店番号を11号として、協会の副会長を務めていたそうです。そして今年からは、僕も副会長に就任することになりました。
裕介さん
協会の会長は歴代の松阪市長が務めているんですが、副会長は祖父の代から、父も、兄も代々やってきているんですよ。
高嶋さん
松阪牛の名門一家ですね。
裕介さん
松阪牛があったからこそ、日本の和牛がここまでおいしくなったんだと思います。
高嶋さん
牛にこんな歴史があったなんて知りませんでした。興味深いですね。

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