GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

茂登山 長市郎×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.5

茂登山 長市郎×高嶋 ちさ子

2012.02.01

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、ヨーロッパの一流ブランドをいち早く日本に紹介した「サンモトヤマ」の代表取締役会長、茂登山長市郎さんです。

天津租界で目にした美しい品物にいたく感動したんです。

高嶋さん 
「サンモトヤマ」という店名にはどのような由来があるのでしょうか?
茂登山さん
実家は日本橋でメリヤス(ニット製品)の問屋をしていました。屋号はサンメリヤス。現在の会社名はここからの由来と、「太陽のように輝いていたい」、との思いが込められています。
当時は、日本橋は問屋の街、銀座は小売りの街として有名だったんですよ。
高嶋さん 
家業はお継ぎにならなかったのですか?
茂登山さん
ええ。自分で外国の好きなものを仕入れて、それをお客さまに売りたいと思っていました。私は太平洋戦争で中国に従軍していたんですが、そのとき天津租界で目にした、見たこともないような美しい品物にいたく感動したんです。これらを日本に紹介したい、外国の文化を売りたいと思いました。
高嶋さん 
それが現在のルーツなのですね。
茂登山さん
ええ。復員後、有楽町駅前の小さなお店でアメリカの製品を扱うお店を始めたんです。時計、万年筆、ライターや、またシャツ、ネクタイなど、当時の日本ではまだまだ珍しいものばかりでしたね。仕入れても次々と商品が売れていく、そんな時代でした。
高嶋さん 
そうだったのですか。ちょっと意外です。
茂登山さん
そんな時に、当時日本を代表する報道写真家であった名取洋之助さんから、「アメリカのものは歴史も伝統もない。本当に美しいものを売りたいなら、ヨーロッパへ行け」と言われたんです。
名取さんといえば、戦前からドイツで活躍されていた方で、日本人で初めて『LIFE』の表紙を飾った人です。そんな方がすすめるくらいだから、絶対に行かなくちゃという気持ちになりました。そして1959年に、ようやく欧州に行くことができたんです。

サンモトヤマ 銀座本店店内。洋服や装飾品、家具など、世界中から集められた様々な商品が並ぶ。

人生というのは、「運」と「縁」。

高嶋さん 
初めて訪れたヨーロッパはどのような印象でしたか?
茂登山さん
とにかく素晴らしかった。その時は名取さんのアドバイスに従って、〝まず美術館や教会を見ること、そして一流ホテルに宿泊し、最高のレストランに行くこと〟だけが目的でした。「見るもの全て欲しくなるだろうけれど、最初から何も買うな」と言われていたんですが、名取さんの狙いは、彼らのライフスタイルを肌で感じろということだったんでしょう。
高嶋さん 
では、そのときには何も買い付けされなかったのですか?
茂登山さん
そうです。名取さんのアドバイスがなかったら大変なことになっていましたよ(笑)。そして3回目の渡航のとき、フィレンツェで出合ったのが『グッチ』だったんです。ショーウインドウの前で足が止まりました。それまで目にしたことのない商品ばっかり陳列されていたんです。当時日本にはなかった革製品が本当に素晴らしくて。これだと閃きました。
高嶋さん 
グッチを初めて日本に紹介されたのは茂登山さんだと伺っていますが、交渉はスムーズだったのですか?
茂登山さん
いやいや。世界中からわざわざお客さまが来るから、輸出なんて考えてなかったブランドです。何度か足を運びましたが相手にされませんでしたよ。
高嶋さん 
でも諦めなかったのですね。
茂登山さん
絶対にこの商品をうちのショーケースに並べるんだと思っていましたから。めげずに訪れた何回目かのお店訪問のとき、偶然グッチの社長さんがお店にいらしたんです。それで社長自ら商品の説明をしてくれているときに、銀で作られたシガレットケースを差し出して見せてくれたんです。とっさに私は胸元からポケットチーフを取り出し、それを受け取り、指紋をきれいにふき取りながら戻しました。名取さんから銀製品は素手で触れてはいけないと聞いていたからです。それを見た社長が「君は物の価値がわかる人だ。君と取り引きをしよう」と言ってくれたんです。
高嶋さん 
運命的な出会いだったのですね。
茂登山さん
私は、人生というのは、運と縁だと思っているんですよ。
グッチとの契約に成功し、オリンピックの年、1964年に日比谷の三信ビルから今の並木通りに本店を移転しました。お店にはグッチ、エルメス、ロエベ、バカラ、ラリックなど、一流ブランドが一堂に並びました。当時、一流の海外ブランドだけを扱うお店というのは、銀座でも日本でも初めてだったんではないでしょうか。

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