GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

水原 康晴×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.2

水原 康晴×高嶋 ちさ子

2011.11.01

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、「清月堂本店」4代目で、代表取締役社長を務める水原康晴さんです。

和菓子で季節を感じ、日本の良さを振り返ってほしい。

高嶋さん
季節の和菓子を教えていただけますか?
水原さん
お正月は花びら餅、その後、草餅、桜餅、柏餅と続き、水ようかんへ行くという流れがありますね。作っている方も、そこから季節を感じています。
高嶋さん
七五三では千歳飴、お彼岸ではおはぎというのも定番ですが、それは誰が決めたんでしょう?
水原さん
千歳飴は、江戸時代の大名が子どもの健康をお祈りし、細く長く生きてほしいという願いが込められていると聞いています。おはぎは、もともとあずきの赤色が邪気を払うと言われていたんです。それに由来すると思います。
高嶋さん
私、和菓子の中で実はおはぎが一番好きなんです。特に大きいのが(笑)! お彼岸になると必ず親戚のおばちゃんが、おはぎを作って持ってきてくれて。それを見ると、ああ秋だなって思いますね。
水原さん
今年は震災もあり、あらためて日本の風習の意味を知ってもらいたいと強く思いました。
お彼岸は、ご先祖に感謝の気持ちを持って供養する行事なんです。おはぎをお供えして、家族みんなでご先祖様を思う時間を共有する。そんな風習が戻ってくるといいですね。

銀座という街に合わせて、時代に合った和菓子を作り続けています。

高嶋さん
水原さんの感じる、銀座の良さってなんでしょうか?
水原さん
銀座は路地がたくさんあるので、それをぜひ知ってほしいです。
路地裏に小さなお店があり、歩いているだけで結構楽しいですよ。大通りの有名店だけじゃなく、たまには路地に行くと、全然違う銀座を体感できますよ。
高嶋さん
銀座だから培われた伝統はありますか?
水原さん
銀座はモダンだけど、核はしっかりしている。創業者の時代から、時代にあった和菓子を作れと強く言われてきました。うちの和菓子もひとつのことだけに固執するのではなく、時代に合わせて対応してきたのは、やはり銀座でやってきたからだと思います。
高嶋さん
音楽も基本のベースはきちんと勉強して、どこかに自分らしさを出さなければいけないんです。それと似ていますね。
水原さん
確かにそうですね。それに加え、父親からは雅味のあるお菓子を作れと言われてきました。例えば、父の考案した「おとし文」は、平安時代に身分の違う方に恋をした女性が、手紙を綴ったけれど渡すに渡せない、その文を「おとし文」と言ったそうです。
高嶋さん
大変。勉強しないと、名前を付けるのも難しいですね。
水原さん
そうなんです。今は、だいぶわかりやすさを求められていますが、名前を見てお菓子のことを想像できるようひとひねりが大切だったりしますから。その時代にあったお菓子を作るのも、その時代に生きた責任だと思っています。
高嶋さん
4代目の代表作の和菓子が出るのを楽しみにしています。
水原さん
これからの課題ですね。がんばります。

次回のゲストは……?

高嶋さん
次回のゲストをご紹介いただけますか?
水原さん
銀座の重鎮、おでん屋「やす幸」二代目店主の石原壽さんです。幼少の頃から銀座に住まわれている方なので、今では想像できない銀座のお話が聞けると思いますよ。

高嶋 ちさ子

ヴァイオリニスト。6歳からヴァイオリンを始め、海外で活躍後、日本に本拠地を移し、全国各地でコンサートを行っている。現在は、演奏活動を中心としながらも、テレビやラジオ番組の出演などでそのキャラクターが評価され、活動の場はさらに広がりを見せている。

高嶋ちさ子オフィシャルウェブサイト

水原 康晴

明治40年創業の銀座の老舗の和菓子屋「清月堂本店」の4代目 代表取締役社長。
1965年東京生まれ。東京和生菓子組合理事、全国銘産菓子工業協同組合理事を兼任。
お客様に喜んでもらえることを第一に、心を込めてつくった最高水準の和菓子を日々提供し続けている。

「清月堂本店」ウェブサイト

取材・文: 高橋瑞穂 取材場所:清月堂本店

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