銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第18回 安平神社

屋敷稲荷は、私有地の中の神社として、大切に守られていますが、時代の流れに沿って外の世界に解放されて地域の人々の守り神となることもあります。本来なら管理者だけが知るご由緒は、外部に伝わっていくこともあるのでしょうか。そこにもいろいろな運命の糸があるようです。

宇井野
たくさんの神社を探訪しましたね。さて、今日ご案内する神社は、私の方にあまり情報がなく、連載の中でご案内することは難しいかな、と思っていた神社なんです。お名前は安平神社、といいます。
荻窪
確かに、私もたまたま前を通ったことがあって、真新しい神社だけど、由緒とか書いてないなあと思っていたところだったのです。はて、どんな経緯で今日の取材に?
宇井野
銀座いなり探訪をそろそろまとめに入ろうかな、と思っていた矢先に、知り合いの紹介で安平神社の鎮座する場所の持ち主と連絡を取ることができました。もともと神社があった料亭を営んでいらしたご一族の方です。そして、こんな神タイミングでお話を伺うことができました。
荻窪
おお、それこそ何かのお導き、みたいな話ですね。
宇井野
まずはお参りしてみましょう。ここはタワーマンション「銀座タワー」の公開空地、共有スペースなのかな。気持ちのいい緑地ですね
銀座一丁目。安平神社はかつての木挽町一丁目エリアにある
銀座一丁目。安平神社はかつての木挽町一丁目エリアにある
荻窪
三十間堀を越えた、昔の木挽町ですね。古い家々が並ぶ路地と新しいタワーマンションが混在している東京の古いエリア独特の雰囲気ですよね。
銀座一丁目の安平神社。奥に見えるのがタワーマンション
銀座一丁目の安平神社。奥に見えるのがタワーマンション
荻窪
タワーマンションはすごく新しそう。竣工は、2003年とありますね。
宇井野
その竣工の数年前まで前身であった料亭「万安樓」(まんやすろう)がここにありました。
荻窪
2003年の数年前といえば、つい最近じゃないですか。このあたりはあまり来ないので知りませんでした。
宇井野
荻窪さん、20年以上前ですから“最近”なんて言ったら笑われますよ(笑)。さて、その料亭「万安樓」があった場所は江戸時代には何だったかというと…「新庄美濃守〈美作守)」3,000石の旗本屋敷でした。
江戸切絵図にある「新庄美濃守」の屋敷。ここがのちの万安樓となった
江戸切絵図にある「新庄美濃守」の屋敷。
ここがのちの万安樓となった
荻窪
新庄氏と言えば、その由緒は古くその祖は織田信長に追われた浅井家の家臣で、関ヶ原の戦いでは豊臣家側の西軍に付きましたが、徳川家康に見込まれ麻生藩(今の茨城県行方市)の藩主となりました。この屋敷は分家の旗本で、江戸幕府の要職「御書院番頭」(将軍家の秘書兼親衛隊長)をされていたようですね。
宇井野
はい、この神社はもともとその屋敷神だったそうです。明治になって新庄家の屋敷の土地が買い取られた時に、庭園はそのまま料亭のお庭として生かされました。新庄氏の屋敷だった時は、庭園に築山があって神社はそこに祀られており、万安樓が受け継いで祠や鳥居を作り、結婚式なども行えるよう、整えたそうですよ。そして「安平神社」と名付けたそうです。もともとの祭神は稲荷ではなく、稲荷は万安樓時代に合祀されたものだそうです。
荻窪
元の祭神はよくわからないようですね、新庄氏の氏神が祀られていたのかもしれませんが、そうやって万安樓の庭園と屋敷稲荷が誕生したわけですね。万安樓についていろんな文献に当たってみたら、明治45年の「東京近郊遊覧案内」に「家屋の壮なる庭園の美にして広きは他に比類なし」、大正元年の「京橋繁盛記」に「料理屋として萬安を知らざるものは恥辱なり」とありました。広い庭園が有名な評判の料亭だったようです。観光ガイドにそう書かれるとはすごいですね。明治44年の地図だと、この四角く囲ったエリアになるようです。
明治44年の京橋区の地図より。四角く囲った広い土地がまるまる万安樓だった
明治44年の京橋区の地図より。
四角く囲った広い土地がまるまる万安樓だった
宇井野
本当にすごく広いですね!
荻窪
その後、万安樓はどうなったのかしら。
宇井野
料亭としての営業は廃業されたそうですが、今でも「株式会社 万安樓」という会社として、銀座タワーの管理に携わっていらっしゃるそうです。そして、ここの土地も万安樓のもの。タワーマンションを建てるときには、当時のご当主の強い要望で、神社をなんとか残そうと隣接する土地を確保し、そこに安平神社を遷しました。
荻窪
そうなると料亭だった頃の様子が知りたいですよね。
宇井野
なので、万安樓さんに当時の写真をお借りしました。こちらが当時の万安樓です。関東大震災で被災し、その後の区画整理で土地の形も変わりましたが、そのタイミングで新しく建てたときの写真です。昭和5年だそうです。
昭和5年に建て替えられた万安樓の入口。すごく大きな料亭だったのがわかる。「万安樓 御絵葉書」より
昭和5年に建て替えられた万安樓の入口。
すごく大きな料亭だったのがわかる。
「万安樓 御絵葉書」より
荻窪
温泉料亭とありますね。お風呂に入って料理も食べられるという施設だったのですね。
宇井野
一風呂浴びてから、広大な庭を愛でながら芸者さんと遊ぶ料亭で、今でいうカラオケコンパニオン付き「スーパー銭湯」のようなものと伺いました。新富町の芸者さんはもちろんのこと、新橋芸者も呼べたそうですよ。
荻窪
写真を見ると築山の上に安平神社が鎮座しているようですね。現在の社殿の前にもお狐さまが祀られてました。台座をみると昭和5年とありますから、震災後に万安樓を再建したときのものということですね。
安平神社の鍵をもつ狐。昭和5年のもの
安平神社の鍵をもつ狐。昭和5年のもの
宇井野
その頃の写真もあるので比べてみると、今と同じ狐と社殿です。
万安樓時代の安平神社。築山の上に鳥居がある。「万安樓 御絵葉書」より
万安樓時代の安平神社。築山の上に鳥居がある。
「万安樓 御絵葉書」より
昭和5年の社殿とお狐。これが今の安平神社にうけつがれている。「割烹 万安樓の栞」より
昭和5年の社殿とお狐。
これが今の安平神社にうけつがれている。
「割烹 万安樓の栞」より
荻窪
これは貴重な写真ですね。庭園の池の向こうに築山があり、そこに神様が祀られていた姿を想像できます。
宇井野
安平というお名前の由来も気になりますね。
荻窪
万安樓の「安」をとったのかもしれないですね。安らかに平らかに。よい名前です。
宇井野
新庄家は所謂「外様」の分家ながら代々幕府の要職につき、その後明治の御代も乗り越えたそうです。現在の万安樓さんも激動の中、こうして安平神社を守り抜いていらっしゃる。このお社は、正にそのお名前の通り安らけく平らけく平穏無事に過ごしたい方々に相当な御利益を下さるのではと思えますね。
荻窪
料亭内にあった屋敷神を、閉じ込めたままにせず、外に出して誰でも参拝できるようにしたのも良いですよね。地域に対して開かれたのが2003年と新しく、狭い路地沿いにあるにもかかわらず、数分の間に3名ほど参拝されてました。
きれいに維持されている安平神社
きれいに維持されている安平神社
宇井野
地主さん、マンション管理会社さんだけではなく、地域の皆さんが大切にしていらっしゃることは神社の様子からも窺えますよね。
荻窪
よく見ると、境内にある灯籠やつくばい、狛犬なども料亭時代のものですね。歴史を感じさせてくれます。
料亭時代から使われている丸いつくばい
料亭時代から使われている丸いつくばい
宇井野
日々の行き来の折に参拝されている方が多いですよね。こちらは木挽町の地域ですから、初午などを取り仕切るのは鉄砲洲稲荷だそうです。静かで優雅な空気が流れていますが、実はチャキチャキ江戸っ子気質の神様なのかな。
荻窪
今回は、江戸時代は武家屋敷の屋敷神、明治以降は料亭の屋敷神とずっと塀の内側にあった古くからの神社が、料亭がタワーマンションになったのを機に外に開かれる、あっという間に地域に根付いたという経緯がよかったですね。それにしても、まさか万安樓の方のお話を直接聞けて当時の写真も見せていただけるとは思いませんでした。外から街を見ているだけではわからないことがいっぱいありますね。
宇井野
こんな風に新たに生まれるお付き合いや開かれていく情報やこれからもあるのでしょうねえ、楽しみです。街歩きっていろんなことで楽しめるものなんですね!