銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第13回 八官神社

銀座は物語の舞台として描かれることも多い街です。ここから始まる話もあれば、銀座で結ぶ物語もあることでしょう。
さて今回の稲荷はどのような物語を見せてくれるのでしょうか。

銀座八丁目の八官神社
銀座八丁目の八官神社
荻窪
今回は銀座八丁目ですね。銀座二〜四丁目あたりとはずいぶん雰囲気が違います。
宇井野
四丁目は昼の銀座、八丁目は夜の銀座というそうですよ。昼間は静かですが夜は華やか。さて、今回の稲荷はこちらです。私も通りがかるときに、小さなお社があるな、と思ってみていました。場所柄、美しく衣服や髪を整えたお姉さまが手を合わせたりされているんですよね。それがこの八官神社です。
飲食店の入ったビルの1Fにぽつんと佇む八官神社
飲食店の入ったビルの1Fにぽつんと佇む八官神社
荻窪
八丁目に八官神社というと、なんか関係ありそうですが、偶然ですね。
宇井野
昔、このあたりは八官町といっていたそうなんです。八官町の八官って何なのでしょう?
荻窪
八官というと、そういう役職があったのか、とか8人の官人がいたのかとか思っちゃいますが、調べてみたら、江戸時代初期に「ハチクワン」というオランダ人に宅地が与えられたのが語源という説があるとか。
宇井野
何者なんでしょう、ハチクワン!
荻窪
一見、ウソっぽいですが、ウィリアム・アダムスの日本名が三浦按針となってその屋敷があった場所が按針町になったり、ヤン・ヨーステンの日本名が耶揚子(やようす)となって八重洲になった歴史があるので人名由来の可能性はありますよね。
宇井野
歴史の詰まった地名はいいですね。さて、八官神社に戻りますが、御祭神はお稲荷さまで元禄時代創建だそうです。
少し高いところに鳥居があり、その奥にガラスに守られた祠が鎮座している
少し高いところに鳥居があり、その奥にガラスに守られた祠が鎮座している
荻窪
では江戸時代の八官神社を探してみましょう。小さな神社だと江戸絵図に載ってないことも多いのですが……あ、ありました。幕末近くの江戸切絵図にしっかり描かれておりました。
江戸時代末期(1853年)の江戸切絵図。八官町に穀豊稲荷としっかり描かれている(「京橋南芝口橋築地鉄砲洲辺絵図」(東京都立中央図書館蔵)を加工)
江戸時代末期(1853年)の江戸切絵図。八官町に穀豊稲荷としっかり描かれている
(「京橋南芝口橋築地鉄砲洲辺絵図」(東京都立中央図書館蔵)を加工)
荻窪
八官町のど真ん中に「穀豊稲荷」が描いてありますね。場所も今と同じです。昔は穀豊稲荷だったのですね。
宇井野
稲荷なのですが、八官町の名前を残そうということで八官神社になったそうです。そして今はお姫さまも祀られているのですよ。
荻窪
お姫さま?
宇井野
加賀姫さま(加賀毘賈神)で、幕末か明治初期に名主の田中平四郎という方が先祖代々祀ってきた加賀姫稲荷をこちらに合祀したのだそうです。八官町は芸者さんが多く住んでいた町だそうですが、お姉さま方がお詣りしているのは加賀姫さまなのかな。
荻窪
江戸絵図を見ると、八官町の北隣が加賀町ですから、加賀姫稲荷はそちらに鎮座されていたのでしょうね。加賀町は江戸市街を整備する際、加賀国(今の石川県)から役夫を出したのがきっかけだそうですから、加賀姫稲荷も加賀の国からいらした神様なのでしょう。
その穀豊稲荷ですが、江戸絵図を見るとずっとこのあたりに鎮座していたのが地図でこうやって確認できるのがすごいですよね。その場所もちょうど外堀通り沿い。今はその1本裏手の道に遷ってますがほぼ同じ場所なんですよね。地主がどんどん替わったりビルが建ったりするこの銀座で同じ場所を維持しているのはすごい。
宇井野
さらにすごいのはですね、20年ほど前までは外堀通り沿いにあり、大通りから参拝できたのですよ。それもこの八官神社があるビルなのです。
荻窪
おお。では平成の途中まで大通りから参拝できたのですね。と考えると、ほぼ江戸時代と変わらない場所ではないですか。
宇井野
ちょっとぐるっと回って行ってみましょう。同じビルを探すと、きっとあのビルですね。1Fと2Fが吹抜けになっていてそこがお社だったのだそうです。
外堀通り沿いから。中央に写っている1-2Fが吹抜けになった細いビルが旧地だ
外堀通り沿いから。中央に写っている1-2Fが吹抜けになった細いビルが旧地だ
正面から望遠で。かつてこの1-2Fに八官神社が収まっていた
正面から望遠で。かつてこの1-2Fに八官神社が収まっていた
荻窪
確かに言われてみるとあのお店は吹抜けっぽいデザインで、そのまますっぽり神社が鎮座していたと思うと感動的ですね。それにしても銀座の外堀通り沿いに神社があったとは今のこの街を知る者としては驚きだなあ。でもなぜ裏手へ遷座?
宇井野
この連載ではお馴染みの再開発や建て替えにより…の事情が発生しました。もともと神職の方が常駐されている神社だったのですが、ビルのオーナーが変わり、神社も無人に。そして裏通り側に遷して表通り側の吹抜けを貸店舗にしてしまったという経緯があるのだそうです。
荻窪
残念ではありますが、こうしてちゃんと神社として残してくれたので今回のように歴史を辿れる。それはありがたいといえますよね。
宇井野
宮司様がいらっしゃる頃はビルの8Fに社務所を兼ねた事務所もあったのですが、それが不在になってお世話できる方がいなくなってしまったんですね。それはよろしくない、と思われたその後のオーナーさんが、一生懸命、働きかけて、然るべき神社にお遷りいただき、分社としての小さいお社を整えたのが今のお姿なんです。
荻窪
御祭神はどちらへ遷られたんでしょう?
宇井野
みなさまよくご存じの芝大神宮です。こちらに姫稲荷が納められた優雅なお厨子があるんです。毎年6月にはその御神前で例大祭も祝奉されています。
荻窪
増上寺の近くにある大きな神社ですよね。今はモダンな神社ですが、なんと平安時代創建の古社で、江戸時代には神明宮。富くじの発売もあって大変賑わっていたようです。
宇井野
八官神社には、宝くじのご利益を求めてお参りされる方もあるとのことですが、きっとその辺りが由来なのでしょう。
芝大神宮。作りはモダンだが歴史は古い
芝大神宮。作りはモダンだが歴史は古い
荻窪
一度、ビルの表通り側にあった時代にお詣りしたかったですね。それにしても、この土地が貴重な銀座八丁目で、その経済の波に飲み込まれそうになりながらも、工夫してがんばって残っている穀豊稲荷と加賀姫さま、そして維持されているビルのオーナーの方にも感服しますね。残るかからこそ我々もこうして歴史に思いを馳せられますし。
宇井野
私は〝移りながら残り続けた八官神社〟にドラマチックなものを感じました。誰か小説にしてくれないかな。読みたいな、銀座の稲荷の物語。