銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第9回 幸稲荷

町のお世話役、といえば、老舗の大旦那というイメージがありませんか?
もちろん、銀座を日々守ってくれているのは「大のれんを背負った大旦那」衆ですが、それを継いでゆく若旦那衆も大活躍しています。

荻窪
2022年になりました。外出時にはまだまだ注意が必要ですが、年末の銀座は感染の小休止を縫って買い物客で賑わったとのこと、何よりです。ところで、今年は令和何年でしたっけ。
宇井野
令和4年になりました! いろんなことがあった昨年ですけど、こうしてお互い無事にすごせているのはありがたいですよね。さあ、今回は若い世代がしっかりお守りしているお稲荷様。たのもしい姿を見ることができますよ。
荻窪
ほう、それはどこですか?
宇井野
銀座一丁目の幸稲荷です。
荻窪
ん?……そこ、知ってるかも。この写真のお稲荷さんじゃありません?
2008年に撮影した幸稲荷。周辺の工事がはじまりつつある。鳥居の後ろの銀杏にも注目。
2008年に撮影した幸稲荷。周辺の工事がはじまりつつある。
鳥居の後ろの銀杏にも注目。
宇井野
いつのお写真ですか?
荻窪
2008年の9月です。つい最近撮ったものと思ってたら、なんと14年も前。カメラを持って銀座をぶらぶら歩いてるときに、こんなところに稲荷がある、と驚いて撮ったんです。
宇井野
なるほど。では今の幸稲荷様がどのような様子なのか、行ってみましょう。
荻窪
あれ? 並木通りに面したこの場所のはずだけど、稲荷がない。稲荷があったところに真新しいビルが建ってますね。
2021年撮影。右のビルの角に幸稲荷があった。
2021年撮影。右のビルの角に幸稲荷があった。
宇井野
そうなんです。この稲荷様もご多分に漏れず、再開発の流れでお住まいをちょっと奥に遷されたんですね。実は2008年にこのあたりの再開発の話があったのですが、当時はリーマンショックなど予期せぬ出来事が。その影響で、土地の所有者が変わるなど、激動の再開発となり大変だったようです。
荻窪
現在の幸稲荷はどこにあるのでしょう?
宇井野
このビルの脇にある路地を入るとお社が見えます。
荻窪
あ、もともとあった場所の並木に案内が出てますね。「幸稲荷神社はこちらです」って書いてあります。
幸稲荷神社への案内が歩道の並木に置かれていた。
幸稲荷神社への案内が歩道の並木に置かれていた。
幸稲荷の現在地と旧地。路地の奥だが旧地のすぐ近くに遷座されていた。出典:国土地理院ウェブサイト 当該地図を加工して作成。
幸稲荷の現在地と旧地。
路地の奥だが旧地のすぐ近くに遷座されていた。
出典:国土地理院ウェブサイト
当該地図を加工して作成。
荻窪
あ、小さいけれども新しい社殿がありました。ここに遷られたんですね。並木通りからは奥まりましたが、社殿も新しくなり、すっきりと現代的にきちんと土地の一角に残っていて何よりです。
新しくなった幸稲荷の社。きれいにライトアップされていた。
新しくなった幸稲荷の社。きれいにライトアップされていた。
幸稲荷神社のお社。普段は扉が閉められているが特別に開けて貰って撮影した。
幸稲荷神社のお社。
普段は扉が閉められているが特別に開けて貰って撮影した。
宇井野
こちらは昔、伏見稲荷から正式に勧請されたお稲荷様。もともと「太刀売稲荷」という名前だったのが、幸稲荷という優しいハッピーな名前になって人々を守ってます。
荻窪
昔、刀や脇差しを商う者がいたため、このあたりを俗称で「太刀売」と呼んでいたそうですが、江戸時代末期の「江戸切絵図」を見ると、「立売と云う」と書いてありますね。河岸で「立売り」が行われていたことに由来するという説もあって、どちらが元かはわかりませんがどっちにしろ「たちうりが行われている場所」の稲荷という意味だったのは確かでしょう。
赤く囲ったところに「立売」と書いてある。出典:国立国会図書館デジタルコレクション 江戸切絵図「築地・八丁堀・日本橋南之図」。当該地図を加工して作成。
赤く囲ったところに「立売」と書いてある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
江戸切絵図「築地・八丁堀・日本橋南之図」。
当該地図を加工して作成。
荻窪
絵図に稲荷は描かれてませんが、おそらく町の小さな社だったのでしょう。当時は河岸の近くにあったようです。実は先日、「中央区沿革図集[京橋編]」という地図集を購入したのですが、そこに載っていた昭和22年の火保図にこの稲荷が描かれてました。そういえば、沿革図集は宇井野さんも購入したとか。
宇井野
ええ、噂を聞いて図書館へ走りました笑。これ、おもしろいですよねえ、見てるとあっという間に時間が過ぎていきます。今後のいなり探訪にも大きくかかわってきそう。ところで火保図ってなんですか?
荻窪
「火災保険地図」のことで、昔、火災保険の料率算定のために作られた地図です。非常に精細で一軒ごとの情報がありますから、昔の住宅地図として一部で知られているんです。これによると、並木通り沿いの旧地に「イナリ」とありますね。
昭和22年の銀座一丁目。「中央区沿革図集[京橋篇]」 昭和22年火保図より。(東京都中央区教育委員会)。当該地図を加工して作成。
昭和22年の銀座一丁目。
「中央区沿革図集[京橋篇]」 昭和22年火保図より。
(東京都中央区教育委員会)。当該地図を加工して作成。
宇井野
江戸時代から信仰も厚いお社ですからね、今でもお祭りのときはたくさんの幟が立てられて華やかなんです。
荻窪
銀座一丁目は古くからの商業地で京橋のすぐ隣、物資が行き来した河岸もありましたから、商売繁盛の神様として信仰されていたのでしょうね。
宇井野
かつては祭の時に神輿も出てたそうですよ。実は、今でも神輿自体はあるのだけど、今の銀座を練り歩くのはなかなか難しいそうで。
荻窪
御神輿の巡回は多くの人や地域の協力が必要ですものね。ところで銀座も再開発のビルが増えていますよね。個人の商店や昔から商売をしてる人は減ってきてるのでしょうか。
宇井野
そうですねえ、確かに企業や投資家の後ろ盾がないと大都会で商売するのは難しい時代になっていますね。でもこの幸稲荷を御守りしてる方は、銀座で生まれ育った、いわば若旦那中の若旦那なんです。最近の銀座は、老舗を受け継ぐ若旦那衆が集まっていろんな企画やイベントを打ち出してくれています。神輿巡行の復活も、もしかしたら…!
荻窪
銀座で神輿が練り歩く姿って見てみたいですね。
宇井野
彼らのエネルギーなら夢を実現してくれるんじゃないかな。それと、幸稲荷が見せてくれる希望のしるし、もうひとつあるんです。
荻窪
ほう、なんですか?
宇井野
境内にあった御神木の銀杏です。
荻窪
あ、2008年に撮った写真に写ってますね。社殿の前に1本銀杏があります。
宇井野
その銀杏を新しい境内に移植することはできなかったんですが、氏子の方達が株分けをして何カ所かに植えました。そのうちの一ヶ所がすぐ近くなのでちょっと行ってみましょう。こちらになります。
移植された銀杏。後ろにみえるのが首都高。まだ小ぶりだが、どんどん成長していくはず。
移植された銀杏。後ろにみえるのが首都高。
まだ小ぶりだが、どんどん成長していくはず。
荻窪
首都高、つまり京橋の下を流れていた京橋川の河岸にあたる場所ですね。でもこれが境内の銀杏とは、教えてもらわないとわからないから、案内の札でもあるといいですね。ついでに幸稲荷への簡単な地図もあれば、街歩きの好きな方にはうれしい情報かも。
銀杏を別の角度から。しっかり根付いているのがわかる。
銀杏を別の角度から。しっかり根付いているのがわかる。
宇井野
そうですね。それにしても若い銀杏がきちんと根を下ろして成長しているのは嬉しいです。次世代にしっかり継承されている、というのが目に見える。銀座の町は、どんどん変化もしていますが、この町の良さは変わらずに残ってくれるといいな。次世代の方達にもこの魅力ある銀座で暮らしてほしいなと思います。
荻窪
どんどん変化していくところと、変わらないところが共存している、というのが東京の良さですものね。